・・・・・・・至福の世界へご案内(1)・・・・・・・

訓練によって得た超能力は生涯ついて回ります。




私(川田満斎)は、

さらなる健康増進のため、

ただ今究極療法を実践中でありますから、

もしかすると目標の120歳まで元気で働けるのではないかと思っています。

さらに目標の一つとして
自ら完成させた究極療法を世に広めるため、

少なくとも10人の弟子が

育つまで頑張ってまいります。


上記のような目標が

掲げられるようになったのも、

真の健康体になれたからです。


超病弱体質だった幼少期から青年期は、

何時死んでもおかしくない日々が

毎日続いておりましたから、

夢や希望は全く抱けませんでした。


生まれて間もなくジフテリアに罹って
死の寸前まで行ったらしいし、

五歳の時は
脊髄カリエスで胸椎の三番辺りが化膿したため、
膿みが右背骨の脇を通って
右鼠蹊部に溜まったのです。

その時膿は、ジブジブと音を立てながら
鼠蹊部に降りてきてパンパンに膨れるため、
痛みが我慢できなくて

その都度血膿みを取り除くために、

毎週一回中嶋飛行機製作工場の側を通りながら

さらに爆弾で穴ぼこだらけの道路を

父が私を自転車に乗せて

本島病院まで連れて行ってくれたのです。

病院は麻酔なしで毎回そけい部に

メスを入れ血膿を取ってくれました。


切開手術の総数は、
20回以上だったように記憶しています。

その頃医者から、

膿が止まっても背骨が曲がり

「せむし」になる恐れが有りますと

告知されておりました。


その背骨変形を予防するため、

首から尻まで完全固定する

コルセットを作ってもらいました。

そのコルセットは

包帯を体に巻いて石膏で固めたもので

板のように硬いものでした。


装着すると腰も背中も曲がらず

とっても不自由を強いられるもので

何から何まで大変でした。


暫く装着していたのですが、

そのうち汗もが出来るようになり、

痒くて使えなくなったため、

その頃から装着を止めてしまいました。


それでも、

幸いにして病気が治り、

背骨が曲がらないで済んだのですが、

治療後は後遺症は半端でなく、

未だに右仙蝶骨は左の
三分の二くらいしか有りません。

その仙蝶骨に大腿骨が付いているため、

右足は左より1.5p短いのです。


その事が判るまでは、
日常生活に大変苦労しておりました。

走っても転びやすい。

朝礼等で気をつけされたとき、

長い間立っているととっても疲れる。

今でも段差が有る所は転倒しやすいので

気をつけながら歩いています。

ちなみに、
本島病院で作ってくれたコルセット代は、

昭和22年で健康保険が利かなかっため、

8,000円でした。

それを父は、
現金で払ってくれたのです。

その後は、
全身が吹き出物だらけで
10歳の頃まで大変苦労しておりました。

その後はめったに
学校を休むことは無くなりました。


小3の冬には、
練炭コタツで一酸化炭素中毒になり、
この時も死の寸前まで行ってきたのです。

その頃から進行していたのですが、

中一の頃には肺結核のため、

左肺上部に空洞が出来てしまいました。


それでも父は諦めずにストレプトマイシンや

ヒドラジド代金を払ってくれたのです。

そのお蔭で空洞は石灰化巣になって助かっています。

しかし、その後の何十年間は、

無理をすると空洞内が割れる痛みが出たり、

咳をすると時々肺からの出血がありました。

今ではその後の健康法により

自覚症状が全くなくなっています。

ついでに書いておきますが、

21歳の春には軽い脳卒中が起こり、

口が左に曲がって唇が閉じなくなったため、

飲食物が呑み込めなくなってしまったのです。

落ち着くまでに二キロ痩せました。

同時に時呂律が回らなくなり16年間は

普通に話すことは出来なかったのです。

現在も、
口曲がり後遺症が若干残っておりますが、

その時起きた言語障害は高電位治療器のお蔭で、

完全に治っております。

但し、82歳の現在も、

右ほほの感覚麻痺が残っておりまして、

抓ってみると左右の痛み感が全く違うのです。


昭和55年前は本当に体が弱かったです。

一年中かぜっぴき状態を繰り返しておりました。


過去には、肝炎・胆のう炎・過敏性大小腸炎・

胃炎・痩せギス・冷え症・風邪引きやすい・

疲れが取れない・起立性低血圧症で急に立ち上がれない・

その他色々経験済みです。

そんな訳で、50歳まで絶対生きられないと
思っておりました。

その後健康産業に携わるようになってからは、

次から次へと素晴らしい商品に

出会えるようになり、

完全な健康体になることが出来ました。

長い間大変でしたが、
今では色々経験したお蔭で、
皆様に健康アドバイスがしやすくなって
良かったと思っています。







・・・・・・・至福の世界へようこそ(2)・・・・・・・

求めよしからば救われん。









●私は、霊的な体験をしました。

昭和47年初夏の夜中、
頭痛で目が覚めました。

その時、
天井に真っ白な衣装をまとった
白ヒゲじいさんが、

水平状態に浮いて
私を見詰めていたのです。

その瞬間、怖くて鳥肌が立ち、
震えが止まらず布団をかぶって
夜明けを迎えてしまいました。

その日の午前に病院の待合室にいた時、
夜中に見た仙人風のお爺さんが
直ぐ隣に座ったのです。

そのお爺さんは、
初対面なのに突然話しかけてきて、
将来、人の為になれる魂を持っているから、
これからは毎日10分間
丹田に意識を集中し
瞑想をするといいですよ。
と言われたのです。

それ以来、
私は毎日瞑想を続けました。

すると、
いつの間にか
体調が良くなったのが感じられるように
なって来たのです。

その頃から不思議な事に、
次々と気功師や超能力者達に
出会う機会に恵まれるように
なりました。

もともと超能力に
興味が有った私は、
情報が入る度に
その都度遠くまで足を運び、
直接会って内容や威力を
確かめて見るようになりました。

その霊能者たちは、
それぞれ素晴らしいものを持っており、
色々と
アドバイスしてくださいましたから、
お蔭で私の虚弱体質が改善され、
現在の健康が
勝ち取れたように思えます。


そして、
それぞれの超能力者は、
施術法や結果に多少の違いが
ある事も解りました。

その違いの源が
どこにあるか研究してみたところ、
宇宙には想像を絶するほど
多種類のエネルギーが
遍満している事が解ったのです。

そんな関係で、
気功や超能力に差が有るのでしょう。

●さらに、
超能力関係の話になりますが、
私は平成2年に、
東京の湯島天神に行っております。

そこで、
ガン腫瘍を瞬時に消す超能力者
「阿部祥二」先生より、
「波動法」のパワーを伝授されました。

その後、長い年月が経っておりますが、
未だに師匠の足元にも及ばない状況です。

それでも、
人様のヒーリングをさせて頂きますと、
皆さんが満足してくださいますから、
人様のためになっている事は確かです。

特にお困りのお客様には、
遠隔治療を行い大変喜ばれています。

今後も我が身に許されたパワーを、
困っている人達のために
生かして行きますので、
何かでお困りの方は
お気軽にご相談ください。

なお、
私の手におえない場合は、
21人の弟子を育てた
大先生をご紹介いたします。

大超能力者(大先生)なら、
殆どの悩み事を解決して下さいますから、
先ず初めにリーダーさんに会って
相談してみて下さい。

仕事関係・家庭内の悩み事・
人間関係・健康上の悩みなど、
ヒーリングを受ければ
なんでも良くなって行くのです。

その大超能力者は、
只今全国各地を飛び回り
無料ヒーリングを行っています。

幸せを求める人々の為に、
生涯無料ヒーリングを続けて行く
と言っておりますから、
何かでお困りでしたら
是非お近づきになって見てください。

但し、
無料ヒーリングと言っても、
その都度別途研修費がかかりますから、
完全なる無料ヒーリングではありません。

ちなみに
どんな体験者がいるのか
ほんの一例をご紹介致します。

●事故で失明していた目が、
瞬時に見えるようになった。

●50年間聞こえなかった耳が、
瞬時に聞こえるようになった。

●脳卒中の後遺症やリウマチが治り、
その場で歩けるようになった。

●末期ガンが短期で回復した。

●酒やタバコが止められた。

●鬱病が短期間で治った。

※その外、
多種多様の奇跡的現象が起きています。

※ 詳細をお知りになりたい方には、
全国津々浦々にリーダーさんを
派遣できますから、
私(川田満斎)に声を掛けてみて下さい。